繊細さん語り
HSP(Highly Sensitive Person)気質について。繊細さん。
-
あかりをつけましょう。新しい人生に。
3月になりました。
早いですねー。この前、あけましておめでとう。なんて言っていた気がします。
最近は、数年前のことも昨日のことの様だよ。
でも、昨日の夕食のメニューは思い出せない。
それやばくないw w w
なんて、老化あるあるは置いといて。
3月3日といえば雛祭り。
🎵明かりをつけましょ、ぼんぼりに🎵
で有名なあの歌ですが、
タイトルが、
『うれしいひなまつり』だって初めて認識しました😆
だって、
『ひなまつり』の歌だって思ってたんだもん。「うれしい」ではなくて、「たのしい」。
何か雛祭り当日に、たのしい事があったのでしょうかね。
結婚式で披露された五人囃子の笛太鼓。持っている楽器から雅楽を想像してしまうと、現代っ子の私的には残念ながら楽しさは感じられないけどね。
壮大さは伝わるけど。
4番の歌詞で視点が変わり、
自分(歌い手)も着物を着替えて晴れ姿になっているので、
ここで最後に「なによりうれしい」雛祭りになってくるのね。
なんて、
テレビで耳にした童謡の歌詞を改めて考えてみたのでした。
もっと詳しく調査している人いそうですね😆
卒業論文とかのテーマで書けそうですね。
日本文化や服飾系の方面で。
3月は別れの時。出会いがあれば、別れもある。
あかりをつけましょ、ぼんぼりに。
あかりをつけましょ、これからくる新しい未来(来年度)へ。
凹むことも、泣きたくなることも、悔しいこともあるでしょう。
どんなときでも明日はやってきます。
今暗闇しか感じなくても、
いつか明るく照らされた未来がやってくることを信じて。
今日も前を向いて歩き出しましょう。
春の弥生の この良き日
何より嬉しい 雛祭り
それでは、次回。
-
今更ながら、話題の
コロナウイルスに感染していました。
5類に移行されて、人々が前みたいに自由に動き回れる様になって1年明けての、2年目の、まだ1月前半。
前日の午後からめっちゃ寒気がして、職場から帰って熱を測ったら、38℃越え。ちなみに朝は平熱であったことを確認済み。珍しく熱を測った日に限って、熱が出た。しかも、もうすぐアラフォー、人生最高値のお熱を観測。
翌日仕事が休みだったので、近くの病院に向かう。
ちなみに、昨夜の熱はなんだったの!?レベルの36℃代に戻って、体調もいつもと変わらないように感じた。
マスクをしていれば、普通に満席の待合室で1時間以上待たしていても問題ないらしい。もちろん事前に病院に熱が出たことを報告するが、いつも通り来てくれとの病院側の指示があってこその行動であることを信じてほしい。
診察の順番がやっときて、鼻に綿棒突っ込まれて、一応熱を測ってくださいと渡された体温計は、再度38℃を記録。
あんな感じに病人待たせちゃ、ない熱も上がるわな。
そして、緊急反応口の方へ案内されて女医さんから一言。
「インフルは出なかったけど、コロナ感染ね」
あ、まじか。
ひとりで上野浅草間を巡っただけぞ。マスクも食事以外は外してないぞ。会話どころか飛沫をうつしてくる人との距離って、その気配すらなかったんですけどー!(なんせ、浅草寺の地獄の列には近寄らなかったからね)
これがいわゆる、空気感染ってやつですね。
電車に乗っていて、知らないうちにコロナ感染してるってやつ。
全く腹たつ。
マスクしていない人いっぱいいたけれど、もちろんその人たちもちゃんと感染しているんでしょうね!
予防策している人だけ感染しているとか、まじありえないんだけど。
と、38℃と36℃を往復し、元から気管支が弱いので夜中は咳き込みが悪化し全く眠れず。何の炎症かわからんけど血尿まで出て。本当最悪な4日間を過ごしました。
症状ある時はまだいい。
辛いのは症状がなくなり、平熱は安定しているのに家族から隔離されていることが一番辛い。
うーん、これはHSPあるあるなのかもしれないな。
相手の顔色を窺ってしまう。
感情や言葉の裏側を探ってしまう。
私は感染したことが罪だと感じている。これを他人にうつすという行為は、犯罪行為だと思ってしまう。
もちろん、法律に決められていないし、そんなことはないのだが、これは思い込みの話。
同じ屋根の下の家族にはうつさない様にしたい。
でも世話してもらっているのは申し訳ない。
もう日にちも空いたし、体も動くし、食器や洗濯物を整理したい。人に頼むのは申し訳ないから、自分でやらなくちゃ。
不意に明けた扉の先に、無防備な家族が団欒している姿を目にする。もちろん自分が抜けたとしても何も変わった様子はない。
訪問者が自分だと判ると、あからさまに息を止める。顔を背けられる。話を簡潔に切り上げられる。
もちろんこの時の自分は毎日自分の部屋にストックしていた新品のマスクをつけているし、相手との距離もとっている。
思い出したくない過去を脳裏に浮かぶ。
学校で流行ったやつ。
「○○と同じ空気吸ったら死ぬよ」ゲーム。
やったことありませんか。
自分はやったことも、やられたこともありますよ。
本当に身に覚えがない人は、
幸せだったのか、体が覚えていたくなくて記憶を消しただけなのか。
ちなみに、
そのゲームと同じ動きをする家族を見て、私はその記憶を引き出されました。
好意と記憶は繋がっています。大概、言葉にされずに自発的に思い出してしまったのは、自分が被害者だった当時に嫌な記憶として奥底にしまい込んでいたからですね。
感染と言われて1週間経つんだよ。
医者はもう、「症状が治って安定したら、もう通常通り過ごしていいですよ」と言っていたのを自分は初日に伝えたはずです。
目には見えない病気を恐れるのわかる。
でも、
目には見えない刃物で滅多刺ししていることも、そろそろ気づいてくれないかな。
でも、
こういう人たちって一生気づかないんだろうなー。
こういう時はメンタルやられますね。
同じ感覚で悩んでいる人の気分転換になればいいなと、
ちょっと自虐的に書いています。
あったことを自虐的に書くことで、他者の目線になって「どうでもいいや」って感覚になれるのでおすすめですよ。
それでは、
次は楽しいお話が書ければいいな。
また次回。
-
やっと秋らしくなってきたので、旅に出たいと思います。
暑い暑いと繰り返していましたが、
最近やっと秋らしく過ごしやすい日々になってきました。
っというか、
逆に寒いんですけどぉ!
まだ夏服しかクローゼットの中は用意していないので、
今日なんて何を羽織ればいいのかさえ困ってしまう程です。
でも半袖をしまうのはまだ早いんだろうな。
屋外でも動き回りやすい時期となり、
少しずつ秋の彩りを感じられるようになりました。
そろそろ、
気軽に近場でお出かけしたくなりませんか?
私はこの前に読んだ本の影響から、
無性に「ひとり旅」をしたい欲にかき立てられています😆
『独りは寂しい』
とか
『一人旅の女性は要注意(傷心旅行や自殺願望者)』
なんて言われますが、
それは、一人旅をしたことのない人の勝手なイメージかと。
だって、
一人旅はめっちゃ楽旅なんだもの。
特にHSP気質を持った、繊細な方々には特におすすめしたいですね。
ずっと気を遣っていなければならない同行者がいない。
自分の好きなペースで、好きなところを巡り、好きなものを食べられる。
もちろん、
道を間違えちゃったり、朝寝坊して出発予定時間に動けなかったりなどデメリットもありますが、
それは誰のせいでもなく自業自得の致す所ですから、余計にイライラしなくていいのが本当に救われます。
まだ海外へ一人旅をしたことがないのですが、
日本は基本的に安全な街なので安心できます。
(一人旅をしようとする人は危機管理も自然にできる人だと思うので、五感で「危ない」と感じた所や人には寄らないかと)
【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!変わり映えのない日々に飽きてきたので、
そろそろリフレッシュがしたい時期。
一泊二日くらいでお出かけしてみようかしら。
HP登録していると旅行ごとにポイントが貯まるから、次の旅行の時に使えるので得した気分になれるのが最高です。
では、次回。
-
無理に一緒にいなくても良いんだよ。と言ってくれ。
苦手な人がいます。
人間としては良い人です。考えもしっかりしているし、自分を持っている強い人。
でも苦手です。
表面上は付き合いますが、まじ無理です。
自分に従わないとすぐに人の悪口を言うから。
人が言った悪口を、そのまま自分がされたかのように別の人に言うこと。
もちろんそれを同意しないなら、舌打ちされて話しは終了。はい、サヨナラ。
そういう人はまとった空気から全て、敏感で繊細なHSP 気質な私たちにとっては息苦しいんです。
それでも一緒に居なきゃいけないのか。
いいえ。
自分の感覚を信じて。
離れたければ離れた方がいい。
別の場所で新鮮な空気を、胸いっぱいに深呼吸ですよ。
すってー。
はいてー。
そして、どうしてもその人の横に戻らなくては行けなければ、もう視界に入れない。
あれ、いましたっけ?
他のことで頭いっぱいにしましょう。
あれしなきゃ!これしなきゃ!それはまだ猶予あるけど手を付けちゃえ!
他のことを考えていたり、クッソ忙しい時って、対人関係のイライラは忘れちゃうんですよね。
まぁ。これって本当に、一時しのぎですけどね。
家に帰って「はふぅー」と一息したら、1日イライラしたことが沸々と思い出してくるんですよね。
あれ、本当に不思議です。
イライラの走馬灯。
たまに昔言われた悪口とかも思い出してきて、涙止まらなくなったり。
あ、泣けるときは泣いた方が良いですよ。「涙活」って一時期はやりましたよね。
私は、人は涙として、自分の心に必要ないものを自然に排出しているんだと思ってます。出さないと負の感情が溜まっていっちゃいますからね。
本当は子供のように、大声をあげて泣きたい!大人だから布団をかぶって嗚咽するだけだけどー。
誰かいってあげてー!
『無理して一緒に居なくて良いんだよっ!』って。
-
心のモヤモヤが晴れない日は。
急に不安になって涙が出てきたり、イライラして人にあたってしまったり。体が重くてだるくて、お笑い番組をみていても笑えなかったり。
そんな時期ってありませんか。
私はその真っ只中です。
クズついた梅雨時期だから、
生理前のPMSだから、
HSPの繊細さんだから、
理由は様々で、ぶっちゃけ全てが当てはまっているんだろうな〜なんて、思います。
他にも新しい理由がありそうな気もしてきちゃった。
でも調べる気力はナッシングー。
やらなきゃけないことは山積みなのに、やる気が全く起きなくて。
いくら教科書を開いても頭の中に文字が入っていかなくて、でも試験は今度の日曜日だし。
通信教育の宣伝をさせていただいている手前、試験には合格しなきゃ!と焦ってはいるんですが、今は不安だけが積もる感じです。
こんな、心のモヤモヤが晴れない日は、
1️⃣無理をしない。
2️⃣自分がしたい事だけをする。
3️⃣人と無理に関わらない。
そして、これが一番、
4️⃣体を温める。
温かいハーブティーでも飲んで、
ノイズキャンセル機能の入ったヘッドホンつけて(最近、無音がベスト)
じっくりと自分を労る時間に当ててください。
もう何もしないー。
私は今日はナマケモノになった気分で過ごしますぅー。
では、次回。
-
一人で悩まないで、とはいうけれども
最近静かになってきましたが、一時期の市川猿之助さんの騒動といい、
芸能人やいじめでの一般人の自殺報道になると、毎日のように「心の相談センター」への電話番号へ誘導するようなテロップが流れます。
確かに、一人で悩みを抱えていては、全てネガティブの方向性へ引っ張られてしまいます。
アニメや漫画とかで、暗い部屋の片隅で体躯座りをしながら引きこもっている描写がよくありますね。
「悩んでいる🟰落ち込んでいる」
そんな時は誰かと話をしたらいいよ。
誰かが問題を解決するアドバイスをくれるから。
誰かがあなたの共感をして、ココロの支えをくれるから。
だから一人で悩まないでね。
これは一般的な意見。
HSP気味な私からみれば、「心の相談センター」やら近くの誰かやらに悩みを打ち明けられるのは、ある意味勇気が必要な行為であると思います。
自分が悩んでいる、落ち込んでいる、一番の原因が自分でもわかっていないから。
その原因が自分にもあると思い込んでいるから、一方的に相手を批判できない。
他人に話したところで、理解されないと思い込んでいるから。
もちろん、
こんな考えをしている方向性のネガティブさんだったら、自身で首を絞めることはあっても、自身で心臓を止めることはできません。
自分が死んでしまった後の事後処理をする人、借りていた部屋の管理人、自分の血縁者、職場で抜けた穴を埋める人、などなど。自分が自分を殺すことで、どれだけ周りに迷惑をかけ、その埋め合わせは誰がするのかという、その後を想像してしまうから行動に移しきれないのだと思います。
周りに敏感で、繊細で傷つきやすい、あなた。
全く別次元を生きている周りと合わせるのは、どんなに大変なことでしょう。
我慢を積み重ねて、地面にめり込みそうになっても頑張って日々を生きている、あなた。
いつか救いの手を差し伸べてくれる王子様も、
花畑を太陽のような笑顔を向けて手を引いてくれるお姫様も、
永遠に子供のままで妖精と冒険ができる島も、
私たちが生きている世界には無いのですよ。
それを受け入れなくてはいけない。
でも受け入れるなんで、私はできません。だから生きることに悩んでいるんです。
悩んでいることなんて、口には出しません。
話したところで誰にも理解できないし、助けてもくれないのだから。逆に話したことによって、相手に重荷を背負わせてしまうかもしれないと考えているからです。
だから「悩みがなさそうでいいよね」とよく言われます。
悔しいので「私も悩んでいるんですよ」と返すと、「何を悩んでいるの」と聞かれるので、それに対して「何」と答えなくてはいけないので、また悩みます。
脳内では、自分が悩んでいる内容で、この人に話しても大丈夫そうな「何」か1つの項目。をスピード検索。あぁ、無理。こんなやつに丁度良く返す言葉ねぇや。頭から蒸気がプシュー。
そんな間に、「ほら無いんじゃん。いいよね、お気楽で」。チャンチャン。
なんて社会人になると良くある話ですよ。
学生のうちの友達同士とか可愛いものだったわ。
数十年経った後振り返って、よく思う。
「あの時何を悩んでいたんだっけ」
無情にも去っていった時間と日々薄れゆく記憶のお陰で、今の私はここに立っているのです。
では、次回。